Be a glocalist.

ベトナム・ハノイの日系企業で現地採用スタッフとして働きはじまめした。現地採用について、ベトナムについて綴っていきたいと思います。

泣くな、走れ、勉強しろ

タイトルそのまま、尊敬する大切な人に言われました。

 

今週はずっと得意先に挨拶廻りをしていた訳なのですが、精神的疲労が半端じゃなくて、帰宅した後放心状態もしくは泣くみたいな生活を送っていました。業務時間中はハキハキ笑顔で話して、家では撃沈という両極端な一日、鬱なんじゃないかって思ったりしました。あんなに好きだったランニングも読書もやりたくない、欲というものが喪失してました。

 

「あなた若いのにどうしてベトナムにきたの?」

「現地採用なんです」

「ああ、、、www」

っていうくだり、毎回イラっときますね。

駐在員が現地採用見下すってことは当然分かっていたつもりだったのですが、いざ直接何度も言われるともういいだろ、、、って思いますよ。どうぞバカにしてくださいな。

 

帰宅するとなぜか涙が溢れてきて、呼吸が苦しくて、このまま消え去っても誰も気づかないんだろうなって考えたりしていました。折角日本にいた時より早く帰っているのに、何も生産的なことができないことにもイライラして、余計に涙が止まらない。

金曜日は次の日休みなことも相まって3時間くらいずっと泣き続けてました。身体の中の水分全部涙として出てしまうんじゃないかと思ったくらい。身体か心を壊せば帰れるんじゃないかって思いました。あ、意外にも心の方が早く壊れるのかなって感じました。

こんなんだったら、死んだ方がましなんじゃないか?でもうちの包丁は切れ味悪いし、部屋にはロープを引っかけるようなところもない。ハノイの電車は車より遅いし本数が少なすぎるから飛び込むのも、、、

 

絶望の淵にいたところ、日本からskypeがかかってきました。

私は内心、優しい言葉をかけてくれることを期待していました。でも言われたのは、泣いたら口きかないよっていう厳しいお言葉w

あとは土曜朝絶対起きて走ること、そしてちゃんとしたグラフが書けるように勉強すること。「口きかないから」なんて言われたら、yesというしかないじゃないですか。だからちゃんと今日起きて走りました。泣いてた後遺症のせいでいつもより苦しかったけど、なんとか30分。

 

そう、何もしなかったら何もできない。帰りたかったら、なにかやらないと。帰れないことを嘆いている暇があったら、帰る方法を考えないと。

そうやって改心したはずなのに、「ファイト」中島みゆき)を聞いてまた泣いてしまうのでした。

 

同僚の告白

得意先へ向かう車の中で、一番話しやすかった同期から衝撃の告白。

「私、今年中に退職するね」

・・・・・まじか・・・・・

 

そのあと営業車の中でずっと会社の愚痴とか今後の予定とかを聞いてた。

彼女は国から奨学金をもらってイギリスに7年間留学していたエリートだ。日本という彼女にとって外資の会社で働いて経験を積むことで、今後に生かせると思っていたとのこと。しかし現実は彼女の想像していたものではなかった。

 

情報は共有されない、製品価格はマスタ管理されていない、書類の枚数が多すぎる、書類一つ作るのに何人もの関係者をプッシュしなくてはいけない、見積書1枚提出するのに上司のサインが必要で、上司が不在の場合は待たなくてはならない、、、その結果お客さんに怒られたこともしばしばあるとのこと。

確かに非効率!

私も研修で見積書の作り方教わったけど、プロセスが長すぎて覚えてない。いざ作るときになったら苦労するんだろうなw

 

あと気になるのは会議。彼女は馬鹿馬鹿しいから何も発言しないようにしてるって言ってた。ベトナム人ってやっぱり目上の人に意見言いにくいの?って聞いたら私はそうでもないって。毎週月曜のミーティング、やるのはいいけど何も生まれないんだよなぁ。抽象論ばかりで具体的施策に落とし込まないから結局変わらない。絶対お昼過ぎるしお腹空くんよーーーw

 

彼女、退職したら自分のお店を開きたいらしい。もっとかわいいものを売りたいって。確かに彼女は工業製品売るより服とかコスメとか売ってる方が似合うよなぁ。

 

でも新人が来るまで辞められないと・・・

責任感強いな。

あなたはどうするの?ここでずっと働くの?って聞かれて、え、1年だよ、One year is enoughってついつい本心を言ってしまったw

残り少ない期間かもしれないけど、何か彼女と一緒に会社に爪痕を残せるようなことがしたいって思った。意外といいアイデアかもしれない。

 

 

 

 

cry for my incompetent

今日のweekly meetingで悔しかったこと①

言いたいことが英語でうまく言えなくて、途中で遮られて発言権を失ったこと

 

後から調べたら全然大したことない英語だったのに、なんであのとき出てこなかったんだろう。histrically this wayだからって、この人たち、変える気はさらさらないのね。

出てこなくても、どれだけ幼稚な単語でもいいから一文言い切れるようにしたい。あとはよく通る声がほしい。

 

悔しかったこと②

自分の任務がわからない

 

て私は日系顧客の対応をしに来たはずなのに、ベトナム人スタッフで事足りている。なんならお客さん側も購買担当はベトナム人だし。

課長も「日系顧客は私のチーム(ベトナム人営業)で見れる」とか言ってたし。私の立場なんなんだろ。

 

ベトナム人営業スタッフからしたら、日本人ってだけで自分の担当してるお客さんのマネージャーラインに会って話してる現地採用見て良い思いしないよなぁ。私がベトナム人スタッフだったらなんだこいつって思うわ。

 

採用のときは、日本人の支店長がひとりで日系を見てるって聞いた。お客さんの大部分が日系なのに、一人じゃ回りきれないから日本人スタッフが欲しいって話だった。全然一人じゃないじゃん。優秀なベトナム人スタッフが面倒見てるじゃないか。

 

みんな忙しそなのに無能な私は何もできない。なんとなく職場に居場所がないなって感じる。だからといって、誰かに頼るのは甘えだ。

こんなんだから、誰も見ていないところで泣くことしかできない。

 

今この家から失踪しても、誰にも気づかれないだろうなぁ。

心配してほしくてたまらないけど、最終手段は取っておかないと。

明日はきっと、今日よりましな一日になるかな。

 

 

ベトナムに来て1ヶ月

ようやく1ヶ月経ちました。ようやく。

こんなに時間の経過を長く感じたことはこれまでなかったかもしれません。

思えば、

・来越初日から顧客との飲み会に参加(まだ正式入社前w)

・トレーニングを受けたり(上司も同僚も忙しすぎて何度もリスケ&放置案件も多数w)

・いろんな工業団地巡ったり(道中トイレがないので辛い...)

あれ、思い出してみると意外といろいろやっている気がするのに、時間が過ぎるのを長く感じるのはなぜなのでしょう。

 

実際ハノイに来てから、一度たりとも「ここにもっといたい」と感じたことはないです。(きっぱり)

ベトナム料理はおいしいし、英語が社内公用語という希望した環境にいるのにも関わらず、そう感じることは今のところできていません。

 

他の海外在住者のブログを拝見すると、最初の1ヶ月は見るものすべてが新鮮で楽しい時期であるはずなのに、私はなぜ渡航後鬱になっているのでしょう。

海外渡航にあたり、キラキラした夢を持っていたわけではありません。むしろ敷かれたレールを外れた不安の方が大きかったはず。だから理想と現実のギャップに苦しんでいるわけではないはずなのです。

 

なんだかんだ、前職が懐かしいのかもしれません。長い研修の間ずっと一緒に仕事をしていた同期達、もう全員で集まることはないんだろうけど、あの時期が一番楽しかったなぁ。

よくないって分かっているけど、過去を思い出してぐだぐだしてる。

いつになったら前を向けるんだろ。

来月の自分はどんなこと思ってるのかなぁ。

 

 

 

選択について

最近時間があると、「現地採用 帰国後」とググっている。

将来が不安で不安で仕方がないからだ。

帰国したら職はあるのだろうか、現地採用の経験を評価してくれるところはあるのだろうか、そして評価されるようなスキル・経験とは何なのか・・・

 

今のところ、どの事項に関してもネガティブな意見しか見つからない。現地採用が帰国して日本で職を見つけるのは難しい、現地採用の経験は評価されにくい。

こうして私の思考も泥沼にはまり、数か月前に自分がした選択を悔やむようになった。

 

シーナ・アイエンガー著『選択の科学』の中に、努力してエリート街道を進み、弁護士になったレイチェルの話が出てくる。彼女は弁護士になって間もなく妊娠したことに気づく。母になると、これまで築いてきたキャリアに傷をつける可能性が大きい。一方で同じ弁護士である夫は子供をもつことがキャリアに影響することはないだろう。

「すべてを考慮した上で、自分はなお子供が欲しいだろうか?答えは、イエスだった。そこで彼女は、前途に待ち受ける難題に立ち向かう覚悟を決めたのだ。」

 

妊娠と転職は全く別の話だと思われるかもしれないが、私はこれを読んで、今の会社に内定をもらったときの自分を思い出した。

デメリットは数えきれないほどあった。今の上司にさえ、なぜこのキャリアを捨ててまでして来るのかと言われた。

すべてを考慮した上で、自分はなお海外で働きたいだろうか?

答えはイエスだった。

 

この本の中にもう一つ興味深い話があった。

自分の子供が、未熟児で生まれてきた。彼は今生命維持装置によって生かされている。このまま維持すれば生きることは可能だが、脳死状態のため今後話すことも動くこともできないだろうと医師から言われている。

彼の生命維持装置を外すか否か。

これを選択した時の状況が、両親の後の感情に大きく影響したのだ。

①医師が選択する

②両親が選択する

③医師の助言を受け、両親が選択する

①の場合、両親は「こうするしかなかったのだ」と思うそうである。医学の専門家が最善の判断を下したのだから、仕方がないのだと。

②の場合、両親は強い後悔と自責の念を抱いたそうだ。あの時こうしていれば良かったのではないかと。

③の場合、②と比較して両親の後悔と自責の感情は和らいだそうである。

 

重大な選択は他人に任せてしまった方が楽なのだ。自分で決める場合にも、他人からの「お墨付き」があれば少しでも他責にできる。

 

この2つの例から言えることは、選択には覚悟が必要だということ、そして自ら選択したことには後悔や自責の念が付きまとうということだ。

ここまで来て、今の私の状況は特殊な事例でもなんでもなく、自分で選択した人が漏れることなく通る道なのだということに気づかされた。

 

アイエンガー氏は、「選択は人生を切りひらく力になる」と述べている。切り開いたら思いのほか荒野ばかりが広がっていることもあるだろう。そこを砂漠にしてしまうのか、一本一本木を植えるのか、それとも灌漑設備を導入して一面の水田にするのかは開拓者の腕にかかっている。

 

漠然とした不安に思いを巡らせるのではなくて、この環境をいかに良くしていくのかを考えることに時間を使わなくては。

 

この本をくれて、迷いの中から引っ張り出してくれたmy significant otherに感謝。

https://www.amazon.co.jp/%E9%81%B8%E6%8A%9E%E3%81%AE%E7%A7%91%E5%AD%A6-%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%BC/dp/4163733507

 

 

 

Dream job

"What is your dream job?"

My colleague asked me, but I cannot reply soon.

"Hou about you?"

I asked her.

She said 

"I want to come back to Englang and get master degree."

"If I feel boring in this job, I will do so."

 

It's interesting thought.

We Japanese never think that maybe because most of us don't change the job. We have to think that "the first job is our dream job".

But for her, oue job is just a dot. Things that she want to do exsist beyond it.

 

she handles fluent English because she has the experience that She study England 6 years. Actually she wanted to study more there but she cannot continue because her family ask her to back to Vietnam. 

"My father has a cancer. It's better I'm by his side"

She said.

And she told me also

"I'll take the day off a month."

"A month? how to get such long day off?"

I was surprised because we have only 12 days as annual day off.

"I just say that to my boss. She understood my situation."

 

I found that my company is flexible more than I expected.

But the reason the company accept her request is her honest attitude. She didn't hesitate to tell that even to her boss.

It seems that she try to make flat relationship with her boss.

 

If I were her, can I did same as her?

Maybe I can't.

Why I think I cannot ?

I can live more comfortable. Don't care about what other people's think.

Finally, I can reach the Dream job.

 

I learned an important mind from her.

Today, I feel not so bad.

 

 

ハイフォン出張

最近仕事で土地勘を掴むために工業団地めぐりをしています。

デスクで暇つぶしにレポート書いているよりは何倍も楽しいのですが

移動中ひどく眠いのと道中のトイレに困るのが難点です。

まぁ車内で寝てますけどw

トイレに関してはなるべく水分を控えるようにすることと

工業団地管理会社ビルがあったら必ず寄るようにしています。

管理会社ビルは誰でも入れますし比較的キレイです。

お客さんと仲良くなったら工場のトイレ借りれるかなぁ・・・

 

その工業団地巡りの一環で本日はハイフォンへ。

ハノイ~ハイズオン~ハイフォンを繋ぐ新しい高速道路ができたおかげで移動がかなりスムーズになりました。高速道路は渋滞とは無縁です!

ハイズオンにはSAもあり、売店、カフェ、そしてきれいなトイレがあります。(これ大事)

 

工業団地を4つほど見てまわり、お待ちかねのランチは

ハイフォン名物Banh da cua!

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ベトナム人スタッフが春巻きも注文してくれました。

Nem hai san!

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これで5人分です。

Nemおいしいのですが、これを食べてしまうとBanh daが食べられなくなりそうだったので味見程度に抑えました。

パリパリだしつけだれがさっぱりしていて油っぽさを感じません。

Binh da cuaはカニのだしがでていておいしかった~

量も控えめでちょうどよかったです。

 

この後帰りも車内で爆睡してしまいました・・・

日本にいた時よりも睡眠取れているはずなのにどうしてこんなに眠いのか。

気が緩んでるんですかね。

そろそろちゃんと働かないと・・・・・(˘ω˘)スヤァ

明日からお昼ごはんは控えめにしようと誓いました。

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お店の前のマネキン怖かったw

 

本日訪れたBanh da cuaの有名店

【Quan Banh Da Cua Be Ba Cu】

住所:179 Cau Dat, Cau Da, Ngo Quyen, Hai Phong

ちなみにBa Cuっておばさんのことらしい。